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今年も、ARTOROには『?』がいっぱい。

2015年11月10日

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アートロも今週末11月15日が、今年度の最終回。
10月に収穫した今年の米を煮炊きして食べる。
夏休みには、去年にひきつづき、子ども芸術大学でこども向けバージョンも行った。
2012年の準備から数えたら、4年目。毎年、やればやるほど、次の疑問が湧き出て来る。

ARTOROは講座のあと毎回、『?』と『!』を書いてもらうのだけど、毎年、参加者の疑問が変わって行く。今年はとくに「道具はどうしてたんだろう?」ということに注目する人も多く、去年とはまた違う。
今年、こどもたちにも講座のあとに、『?』(おもしろかったこと)『!』(もっと知りたいこと)を書いてもらうと、
「なぜ、1メートル40センチも下に住んでいたの?」
うわあ、そうかぁ。この1m40cmくらい下が2000年前の地面で、と説明しても、地層という概念がなかったねぇ、ごめん。あ、オトナでも「地層の上が新しく、下が昔のもので、溝や凹みに上のものが流れてきて埋まっていくのに、山や谷や平地がなくならないのはなぜだろう?」っていう『?』が出てた!

ほぼ完璧に藁、籾、木の枝、田んぼの泥土で土器を焼いた10月。「ゴミの概念。」に疑問を持った参加者がいた。江戸時代まで人間の排泄物だって肥料として使っていた日本。つい最近、友人が古い家の瓦をおろしてみるとそれは藁と粘土で止めてあったそう。しかも昔は、その粘土をまた練り返して再利用し、練り込まれた藁には古いわらじが使われていたという。無駄ナッシング。私の実家は、私が中学生になるくらいまで、庭に大きな穴が掘ってあり、母は生ゴミをそこに捨てていた。ネパールからきた友は、「ゴミ捨てるのは山から都会に出てきた人なんだよね、そこらに投げておけば、いずれ土に還るとおもってるから」って言ってたなぁ。弥生時代に、ゴミの概念はなかったかもしれない。

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あ、そうだ、もうひとつ。

去年(2014)、こどもたちは、市販のテラコッタ土と、田んぼの土との2種類で器を作った。扱いやすいテラコッタで粘土と仲良くなって、紐作りで器をつくる練習をする。次に、田んぼの乾燥土に水を入れて自分の手で練り上げ、形をつくってみようという意図があったのだけど、「また、おんなじ形、つくるの?」と言う子がいた。
今年は田んぼの土で土の神様つくって、テラコッタで作った器には「模様描いていいよ。」って言ったら、ノリノリ。すごく、たのしそう。急に個が立ち上がって来る。作る喜びって、考えてなかった。どうやって作ったのか、どうやって焼いていたのか?という技法にばかりこの4年間注意が行っていたのかもしれない!と愕然とした。あらためて、弥生式土器の写真を眺めてみると、縄文みたいに派手じゃないけれど、あーこうぐるぐる掻いて(描いて)余っちゃったとこを四角の線で埋めたのねぇ!と、くすっとなるような引っ掻き模様がたくさん。同じ人間として、これを作った人の気持ちが急に自分と近くに重なった。弥生式土器は無印みたいにつるっとしちゃって、という目でしか見てなかったよ。

直播きした田んぼの稲は9月には雑草だらけだったのに、収穫の10月になったら、雑草なくなったんだよね。

ああ、今年も面白い。
さて日曜は、いよいよ実食。楽しみだ!

 


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よく見ると、弥生式土器にも引っ掻きの模様があった。ちゃんと作った人の手が見える。

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