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ARTORO特別講座「土の跡から想像する」を企画開催しました。

2014年03月21日

教科書で見た、登呂遺跡の復元住居。疑ったことなんてなく、そういうもんかと思ってた。ARTOROで『?』をくり返すまで。
2013年3月27日、ドイツから友人が来ていたその日、弥生時代の土がもらえるというので、登呂博物館の学芸員稲森さんと現在発掘中という有東遺跡を訪れた。
クリストフ「何、この穴?」
調査のヒト「ここに柱が立ってた跡だよ。
(ふうぅーーーーーーーーーーーーーーーーん。)ここに柱があった跡がこう、土の質の違いでわかるわけだ。それだけ??え?誰も見たことないんだよねぇ?写真あるわけないし。

そうして2013年8月、私は無謀にも、素人の無知をいいことに奈良文化財研究所へ。考古の世界でもデザイン工学の方がいて、遺構という土に遺された柱や炉の跡とのこされた部材か実際にどんな建物だったのか想像するんだそう。かの平城京も柱の跡から何人かの建築家の方にお願いして模型をつくり、このあたりかなぁ?って復元したのが現在あるもの。登呂ムラも、材や技術が限られていたとしても、建て売り住宅みたいに全部「黒坂さん、登呂で遺構図から上屋を想像するワークショップをやっていただけませんか?」
「や、僕、講演は多いですけど、ワークショップはやったことないんです。ん〜、でもやってみましょう!」

2014年3月16日。15名の参加者のうち、1名は仙台からいらしてくださった。最初に、現在ある復元住居を見学して、黒坂さんから
「高床式は、それこそ柱が4本か6本というだけで、どれくらい高かったのか、どこが入り口だったのかも、わからんわけです!」
「住居も炉がある家とない家がある。もしかしたら、夏の家と冬の家があって、夏は暑いから外で火を焚いて、ご飯をつくっていたかもしれない。」
素敵だ。70人あまりが暮らした登呂ムラには、どんな光景があったのだろう。どの家も炉があるだけで階級差もなく、環濠もなければ、武器もない。平和でのんきな登呂ムラの住居を想像しながら、部材になる小枝を拾って歩いた。
参加者は、高床式倉庫と、住居のいずれかを選んで模型を作りました。当時、木を切るのも大変なこと。そう思ったら、この枝分かれした木の股を上手いこと使おうってな気持ちにもなる。

ワークショップ後にすぐ、黒坂さんよりメールが来ました。“次回の課題も見つかり、ますます発展したらと思います。”との嬉しいコトバ。来年は構造だけでなく、暮らしを考えて作ってみたいなぁ。

*参加者のみなさんが制作した模型は、3月30日まで「連続7回講座ARTORO」の活動報告展示会場:登呂博物館1F情報コーナーで展示しています。



黒坂さんから「登呂は掘ると水が出ちゃう湿地なので、こういうのはアリかもしれませんね。」おんなじ人間として、やっぱりきもちいい方、選ぶだろうなぁ。

並べたら、なんだか真ん中に広場があって、ほんとうにこんな村があったかも?と思えた。黒坂さんから「考古の人じゃないから、みんな夢がある。」