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『ひとつ屋根で暮らす』参加者募集のお知らせ

2017年09月12日

【参加者募集のお知らせ】
こちらから、チラシをダウンロードできます。

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2012年の実験から始まった登呂遺跡での活動『ARTORO』。

とうとう(ど素人が)住まいを作ろうと動き始めます。
2013年、登呂遺跡公園の復元住居を見て、ふと
「本当に建売住宅みたいに、同じ形だったんだろうか?」と思ったのがきっかけ。
あれは、土に残された4つの柱穴と土手の跡から、現代人が考えた住まい。本当にそうだったかはわからない。

さて、どこから始めよう?
私はちっとも企画ができなくて。
なんだろう?と思ったら、「土地を買って、家を建てる」と言う、なんとも現代的な発想だったから。(だいたい,土地を買うって。それ、地球なんですけど。)

なんで3回も洪水があったのに、あの場所にこだわったんだろう?と、環境を知るところから始めることにしました。
まだ、馬もいなかった弥生時代の登呂ムラ。
自分の頭を乗っけて移動するには、この身体だけ。
そこにあるもので、すごく豊かだったはず。

出かけるったって、夜は真っ暗だ。
月と、星と、火。

目で、耳で、皮膚で、五感をフルに使って環境を読む。
生物としての能力を取り戻したい。

自分にGPS、もどさないと。
安全だから、ヘッドホンして歩ける。

個室って、いつからできたの?って考え始めたら、
住まいの機能って、そもそも何??

マイホーム=家族(血族)が住む夢の家って、
今、なんでそうなってんの?

ただ、住居を作ったって、しゃーない。
それじゃあ、箱モノで、そこに暮らしはない。

空間をシェアする人と起きるコミュニケーション(摩擦)?
誰とシェアするの?
なんで??
と『?』が止まらないまま、
今、足元にあるもので、
この場所に、
みんなで作って、
みんなで修繕して使える住まいを作ります。

2020年まで、3年がかりです。
(私もこんなことになるとは思っていませんでした。)
一緒に考えて、(失敗もして)くれる人、募集です!!

どうぞ、よろしくお願いいたします。

こちらから、チラシをダウンロードできます。

「ARTORO」のこれまでと、これからを取材していただきました。

2016年06月21日

「ふじのくに ささえるチカラ」でご紹介いただきました。

3年間、田んぼの土で土器を作り、同じ田んぼで稲を育て、秋に収穫した米を土器で煮炊きして食べる事を3年続けたら、わたしたちはとうとう社会の始まりを見てしまった。

今年のARTOROは、「自給自足は道具から」をテーマに研究する年としました。
例年通りの田植えは、登呂の田んぼにダイオキシンが入った可能性があると田植えができず、育てた苗が黄色くなってきて「え〜ッ!!どうすんの?」見たいな事故には毎度ぶつかりつつ、みえないところで、ものすごく盛り上がっています。

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熊本地震直後の、ARTOROメンバーとの最初のミーティング。
「東北の時も、オレ米送ったけど、炊飯器なくて余っちゃってたらしいね。」
「熊本も炊飯器、足りないってニュースで言ってた。」

「オレら、何なら土器から作ってメシ炊くけど!」と
言い放ったメンバーと、鹿部なんて部署もできちゃって、いいオトナがこんなに楽しくやってるARTORO。

今年の様子は、登呂会議のfacebookページでみてください。

 

人の意思が見えたよ。

2015年11月19日

11月15日(日)2015年ARTORO最終回「土からの恵みを食べる。」

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今年は、現代のガスコンロの原型を見るような新しい景色を見た。

これまでの2年間、4グループが1つの台付甕で2回、米の煮炊きに挑戦し、1回目の体験から2回目は燃料を減らす工夫や蓋をするなどの試みがあった。

今年、2グループにそれぞれ、大きな台付甕2つと、小さな台付甕1つを渡し、10月に収穫した米を煮炊きしてもらうと、「燃料がもったいない!」と、どちらのグループも甕を3つくっつけて調理を始めた。そのうち、「火がもったいないから、魚を棒に刺して横で焼きたい。」という声!これは、うちにある3口のガスコンロに魚焼き機がついてる原型みたいじゃないか?

もうひとつ。長坂さんが今年は、海水を用意した。どちらのグループも海水入りと、水とに分けて煮炊きを始め、小さな甕では製塩をした。参加者の田中くんが谷津山で採れたムカゴを海水炊きの方に入れる。木佐貫くんが、自分でつくった小さな台付甕で、椎の実を海水で炒り煮。

椎の実、美味しい!
塩加減絶妙のご飯も美味しかった。

塩ってすごいなぁ。
我が家では、この5月から食生活を見直し、味付けには塩、酒、醤油、酢、味噌、みりんしか使わなくなったけれど、まったく問題ない。逆に、夫はレストランっぽい味になってきたという。(そうだよね、レストランはキューピー・イタリアンドレッシングを使わないし、日本ほどドレッシングや調味液の多い国はないと思う。ドレッシングに至っては、携帯用からジェル状まで、本当にそんなバリエーションは必要なのかな?)

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今年(2015)の田植えは土木事業から始まった。OB田んぼと、今年度参加者による1年生田んぼ、共に実験する直播き田んぼ。水をどう引くか、必死の形相。OB田んぼが深水になる、水上から来ないように堰き止めろ!いくら掻き出したって、水の生理は上から下へ流れるし、畦があっても、水は浸透するのに。講座が始まって以来、初めて見た「私有化」という出来事。
「争いって、こうやって起きるんだ。」と女性の参加者が小さな声で呟いた。

ARTOROでは各回講座の後、「?」と「!」を書いてもらうが、9月の野焼きの回に「ゴミという概念はあったのか?」という『?』が出た。
先日の煮炊きの前に、米搗き(杵と臼でやりました!現代でいう精米ね)をした。脱穀後の、籾をはずした穂をまとめて小さな箒を作り出した方がいた。これがまた、調子よく籾殻を掃きまとめられる。ムダ、ないなぁ。

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お米を煮炊きしたあと、さて何で食べようか?と参加者は遺跡内をうろうろ、大小さまざまな葉っぱを集めて来た。大きな葉っぱを2枚重ねて皿代わり、堅くて細い葉っぱは匙代わり。

「食べ終わって、モラルなく、ポイって捨てちゃって。」と振り返った。ポイッと捨てても大丈夫。ダンゴムシやミミズ、ヤスデやら見えない菌たちがちゃんと分解してくれる。人も含め、すべての生態は土に還る。「ゴミを捨てるな!」というモラルは、現代の概念だ。

ARTOROの活動を始めて、4年。最初は大きな質問状、そんなつもりだった。震災を経て、何が本当に必要なのか?
活動を進めていくうちに、一緒に考えて実験してくれる仲間たち(←私がこのコトバを使えること自体、奇跡)から沸き出る小さな『?』が、私たちの“今”を裏付けていった。現代の暮らしは突然、こうなったわけではないね。

歴史を知ることは、案外と今の自分を勇気づける。
去年も今年も、女性参加者が「何か、強くなった気がする。」と言った。

今年は土に砂を混ぜて土器を作る方法も、野焼きも田んぼから出る籾と藁、泥に木の枝で完成した。
だけども。今年はやり方でなく、それをやった人の意思が見えた1年でした。

今年もみんなで作った、美味しかった。、楽しかった。

みなさん、今年もありがとう。

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*関連記事:

「今年も、ARTOROには『?』がいっぱい。」

「おんなじ土でも違った!」

今年も、ARTOROには『?』がいっぱい。

2015年11月10日

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アートロも今週末11月15日が、今年度の最終回。
10月に収穫した今年の米を煮炊きして食べる。
夏休みには、去年にひきつづき、子ども芸術大学でこども向けバージョンも行った。
2012年の準備から数えたら、4年目。毎年、やればやるほど、次の疑問が湧き出て来る。

ARTOROは講座のあと毎回、『?』と『!』を書いてもらうのだけど、毎年、参加者の疑問が変わって行く。今年はとくに「道具はどうしてたんだろう?」ということに注目する人も多く、去年とはまた違う。
今年、こどもたちにも講座のあとに、『?』(おもしろかったこと)『!』(もっと知りたいこと)を書いてもらうと、
「なぜ、1メートル40センチも下に住んでいたの?」
うわあ、そうかぁ。この1m40cmくらい下が2000年前の地面で、と説明しても、地層という概念がなかったねぇ、ごめん。あ、オトナでも「地層の上が新しく、下が昔のもので、溝や凹みに上のものが流れてきて埋まっていくのに、山や谷や平地がなくならないのはなぜだろう?」っていう『?』が出てた!

ほぼ完璧に藁、籾、木の枝、田んぼの泥土で土器を焼いた10月。「ゴミの概念。」に疑問を持った参加者がいた。江戸時代まで人間の排泄物だって肥料として使っていた日本。つい最近、友人が古い家の瓦をおろしてみるとそれは藁と粘土で止めてあったそう。しかも昔は、その粘土をまた練り返して再利用し、練り込まれた藁には古いわらじが使われていたという。無駄ナッシング。私の実家は、私が中学生になるくらいまで、庭に大きな穴が掘ってあり、母は生ゴミをそこに捨てていた。ネパールからきた友は、「ゴミ捨てるのは山から都会に出てきた人なんだよね、そこらに投げておけば、いずれ土に還るとおもってるから」って言ってたなぁ。弥生時代に、ゴミの概念はなかったかもしれない。

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あ、そうだ、もうひとつ。

去年(2014)、こどもたちは、市販のテラコッタ土と、田んぼの土との2種類で器を作った。扱いやすいテラコッタで粘土と仲良くなって、紐作りで器をつくる練習をする。次に、田んぼの乾燥土に水を入れて自分の手で練り上げ、形をつくってみようという意図があったのだけど、「また、おんなじ形、つくるの?」と言う子がいた。
今年は田んぼの土で土の神様つくって、テラコッタで作った器には「模様描いていいよ。」って言ったら、ノリノリ。すごく、たのしそう。急に個が立ち上がって来る。作る喜びって、考えてなかった。どうやって作ったのか、どうやって焼いていたのか?という技法にばかりこの4年間注意が行っていたのかもしれない!と愕然とした。あらためて、弥生式土器の写真を眺めてみると、縄文みたいに派手じゃないけれど、あーこうぐるぐる掻いて(描いて)余っちゃったとこを四角の線で埋めたのねぇ!と、くすっとなるような引っ掻き模様がたくさん。同じ人間として、これを作った人の気持ちが急に自分と近くに重なった。弥生式土器は無印みたいにつるっとしちゃって、という目でしか見てなかったよ。

直播きした田んぼの稲は9月には雑草だらけだったのに、収穫の10月になったら、雑草なくなったんだよね。

ああ、今年も面白い。
さて日曜は、いよいよ実食。楽しみだ!

 


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よく見ると、弥生式土器にも引っ掻きの模様があった。ちゃんと作った人の手が見える。

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実感のあることばで、話そう。

2015年04月20日

2015ARTORO「土がぼくらにくれたもの」第一回が無事おわりました。

土は、地球からのギフト。何はなくても土さえあれば、食べるものも土器(道具)も作りだせると、田んぼの土で土器をつくり、同じ田で稲を育て、秋に収穫した米を土器で煮炊きして食べる登呂遺跡で始めた活動が、ARTORO。2012年から実験を始めて、4年。参加者も交えて、みんなで考える講座としては3年目の集大成。私は今年、やけに気負っていた。手伝ってくれる学生の数も増えて、準備をし過ぎたかもしれない。現代的学びの欲求を満足させるアプローチをしたかもしれない…と夕べは、地に埋まっちゃうぐらい反省した。

そしたら今日、たのしかったぁーというメッセージがいろんな方から届いてる。
んで今、参加者が講座の最後に書いた『?』と『!』を見て、涙出そうになる。

ー自給自足って、たべものだけじゃなくて、道具もじゃん!
ー葉脈底に感激しました!そこにあるもので実は全てが回るんじゃないかと常々思っておりまして、昨日土と石のことを考えていてとても素晴らしいタイミングでお話を伺えて嬉しいです。
ー予想を超えた盛りだくさんの出来事で心身へ馴染ませるのに時間がかかりそうです。(笑)僕らの身の回りには何が豊富にあるんだろうかと思うに至りました。
ー田んぼで掘り出した灰色の土、すごく鉄っぽい匂いした!(←あー、これ!!こんど、話そう。by私)
ーそもそもどうして、粘土を焼くことになったんだろう?
ー手の温度で土の水が飛んでく。葉の表面がすべすべしてるとよくすべる。粒子の細かい土はさわって気持ちいい。
ー土も地球のかけらだ。



etc.
そうだ、もう動いているのだ。
3年やっても、毎年おんなじことやらない。いつだって、LIVE。目の前に起きているコト、いる人と自分の五感を使って、どっち行くのか決めていく。0から十にしてもらった今の時代に私は生まれて、ここから百、千、万はラクじゃん!て思う。わたしたちはこれから、どんなふうに目の前の世界を読み、判断して、なにをすべきか決めて行くのだろう?あぁ、そうか。そう言う時、一緒に考える仲間がいてくれるのが本当に嬉しい。

今年は常葉大学の安武教授と未来デザイン研究室メンバーが記録を担当してくれることになりました。昨日はじめて観察してくださって、面白かったのは“話の途中でぜんぜんちがうモノに興味を示す方”とか、“この葉っぱを採りましょうって言ってるのに、ぜんぜんちがう葉っぱ探しに行っちゃう方がいた”とか、すごくおもしろい観察をしてくれた。

私の昨日一番の反省は、予想外の質問を食らって「それ、もちょっとあとで話します。」みたいに答えたこと。何に興味をもつか、自由。この順番で学んでほしいなんてのはおかしいだろ?といつも思ってるのに、なんだ、その答えは?自分!
「んじゃ、こんどそこ調べておせーて。」って言ったっていい。
ここ、みんなで考えるとこだから。

実感のある言葉で、話したい。

まず、直面したのが、講座開始30分前に判明したARTOROの田んぼになんとトラクターが入っていた!なにすんだよぉ!さて、どうするよ?

ひとり、べつの葉っぱを探しに行く人。(笑)

午前中は雨ふっていたのだけど…(自慢ですが)私の関わったワークショップやイベント、雨ふりません。

頭から血が出るほど(うそ)いっしょに考えてくれる、今年のスタッフ=常葉大学の樽本さん、古本さん。静岡デザインの佐藤くん、小泉さん、西堀さんもよろしくね。

2015年度ARTORO『土がぼくらにくれたもの』参加者募集。

2015年03月16日

2015年のARTORO連続7回講座「土がぼくらにくれたもの」が始まりました。
お申し込みはこちら

何はなくても土さえあれば生きていけると始めたARTORO。暮らしってなんて、クリエイティブなんだろう。祖先が「こっちのほうがいいだろう?」と選んできた結果が今の暮らし。なぜこうなったのか?そのプロセスをたどってみたら、私たちは今、“未来へ向かって選んでいるのだ”と実感しています。

本業は、人間。生きていくのに、自分が本当に必要なものはなんだろう。
人間の先輩は自然を熟知していて、合理的に暮らしてた。
知識で知っていることと、自分の手で、身体で知ることは大きく違い、そういう実感をもって今、生活したいと思っています。
だから、この活動を続けていこうと考えてる。

人がなにかを作り出していく過程、生み出せる場や関係性の力そのものも、“アート”と捉えています。
「ART」はその語源からすれば、人の腕(スキル)。焼き物はすべて、人工物。田んぼも人工だよ。
成果物として生み出されたものより、そこで得たことや想いをそれぞれが自分の持ち場に帰って生かすことができて、初めて活きると思う。ARTOROで、弥生の暮らしを体験したとしても、一年365日、こうだった昔とはちがう。

じゃあ、ARTOROって何?

去年の6回講座が終わったときも思ったけれど、『きっかけ』。この体験から少しばかり今の生活を見直したり、目の前にあるものがなぜここにあるのかな?とか、ものを大切にしたり、とか。そんなことが日々の暮らしにポツリポツリと起きたら、うれしい。

今年のテーマは『火耕水耨(かこうすいどう)』。割れた土器を桜の皮で継いで大事にしていた登呂ムラの人が、そんなにしょちゅう土器を焼いていたとは思えないという仮説から、昨年までに藁や籾を燃料に、田んぼの泥土で覆って土器の野焼きをした。土器を焼くための素材をすべて田んぼで調達できたんです。それならば、今年は、焼畑ならぬ焼き田んぼをして、ついでに土器も焼いてみようと、あたらしい実験をします。誰に教わるでもなく、自分たちで考えて実験をしていくうちに、それは遠い昔に中国で行われていた、農法に似ているかもしれないと、考古のプロが「火耕水耨」教えてくれた。
田んぼを焼いて、種籾の直播きをする。焼き灰は土壌の栄養にもなるはずだ!今年も一緒に取り組んでくれる仲間を募集します。

お申し込みはこちら

登呂会議の活動記録はfacebookページへ

昨年の様子です。

〜2014年度ARTORO“土がぼくらにくれたもの”を終えて〜

2014年12月04日


11月16日(日)2014ARTORO第6回目の講座「土からの恵みを食べる」を行いました。これで、今年度の講座が修了。3週間たった今、去年より放心状態。去年はこれで終わった!のではなく、ここが始まり。参加者が気づいたり感じたことを、それぞれの持ち場でここから生かして行くんだ!と、明るく強いものをもったことを覚えている。

今年、それぞれの想いを講座の最後に聞いてみたら、来年やりたい(やらねば?)テーマは決まったけれど、自分なりの思うことなど、書けなくなってしまった。あふれることは、この活動を始めた頃、心に掛かっていたことばかり。それを列記してみようかな。

【1】震災から1ヶ月めくらいだったか、ふと見たテレビ番組。海沿いの孤立した集落。被害のなかった高台の2軒に集まって、長がまずこの2軒がもっている米をすべて出してもらい、何日生き延びれるか計算。3日後には助けが来るはずだから、すぐ渡せるように、必要な薬のリストアップ。流されてしまった家に戻って、洗ったら食べられるものなど食料を探す。3日めに少し離れた集落まで救援物資をもらいに行く軽トラは、途中道を塞ぐ倒木をチェーンソーで切りながら進むが、瓦礫でタイヤがパンク。すると、長は、津波で横転している他の車のタイヤをはずし、付け替える。すごいなぁ。あれがなきゃダメ、これがなきゃダメではない、このヒトの力。

【2】震災から4ヶ月目、仙台市に隣接する多賀城市。1ヶ月目に訪ねた時は、流された車や建物、看板やら日用品が道路にまだ散乱していたけれど、それらが瓦礫の山と化していた。100年先分までのゴミ。ほとんどが自然に戻ることのできない素材。便利のためにたくさんいろんなものを作ってきてしまったけれど、ほんとうに必要なものは何だろう?

【3】何がなくても、土さえあれば米は育てられるし、器も作れる。土は地球が生産者で、私たちへのギフト。土の生理は、縄文時代から変わっていない。それぞれの時代で人間が必要とするものが変わっただけ。土は変わっていないのに、焼き物は社会とともに変化する。

【4】2000年前の老子の言葉「無きを以て用を為す」
三十輻共一轂。當其無、有車之用。埏埴以爲器。當其無、有器之用。鑿戸牖以爲室。當其無、有室之用。故有之以爲利、無之以爲用。
(英訳文)
A wheel has thirty spokes and one hub. We can use a wheel because a hub has a hole to insert an axle. We knead clay and make a vessel. We can use a vessel because it has a space with nothing. A house has doors and windows. We can live in a house because it has a space with nothing. So when we use something, we always benefit by “nothing”.
(現代語訳)
車輪というものは三十本の輻(や)が真ん中の轂(こしき)に集まって出来ている。その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用を為すのだ。器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用を為すのだ。戸や窓をくりぬいて家は出来ている。その家の何もない空間こそが家としての用を為しているのだ。だから何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ。

<ここから、参加者の感想を列記します>

自分でも予習しちゃうくらい、自分であぁしたら、こうしたらと考えられて面白かった。(出られる時だけ参加しようと思っていたのに、皆勤。(笑)他の参加者ともっと話が出来るような時間が、もう少し欲しかった…内容、濃すぎ。(Sさん・男性)

自分が種籾から育てた頼りない苗があんなに立派になって、びっくり。普段、やらなくてもいいコトを一生懸命やって、ほんとうに手をかけなくちゃいけないことに目を向けていないんだなぁ。(Sさん・女性)

愛知の美術大学に通う娘からの紹介で参加。登呂は小学生の時、学校で見学に来て以来、まったく来なくなってた。今回参加したのをきっかけに、実の母親が昭和の遺跡発掘に関わっていたことを知って、講座で出会った人たちがみんなすばらしくて、すごいご縁だった。
(Iさん・女性)

考え方やものの見方が変わった!今まで気づかなかったいろんなことに興味を持てるようになって。お寺や歴史的なものを見てもこれまでは確認してるだけだったのが、今はなぜ?と。もっと、もっと、歴史を勉強したい!(Iさん・女性)

東京から通うの、ハードル高いなぁと思ったけど。登呂の土で、登呂の米を食べて、、それだけのことなのに、普段とちがう力と頭を使う感覚が新しいと思った。楽しかった!(Tさん・女性)

お米をもっと、大切に食べないと!(Kさん・女性)

去年参加して、今年も7月から4回参加。今年は今年のテーマがあって、去年とまたぜんぜんちがう。今年も新しいつながりができて、嬉しい。(Uさん・女性)

食べることが好きで、ARTOROに参加したけれど、月一で土に触れることが楽しかった。ご飯の美味しさを知った。(Fさん・男性)

考えることが多くて、常に全力でいられた。人が気を遣いすぎると、稲の持つ力を100%引き出してあげられない。自分のルーツや歴史に興味をもった。今、ここにいる自分にOKが出せて、生きる力が湧いた。(Tさん・女性)

農に興味がなかったけれど…。考え過ぎなくても、自分でただ観て、音が変わるとか、の変化に直感的に対応するだけでいい。(Kさん・女性)

去年参加して、今年は最終回だけ出席しましたが、ARTORO進化してる!!昔の人の努力の恩恵をうけてるんだなってことを知ると、今の生き方や考え方が変わる。(Hさん・女性)

自分の内面を豊かにできた。つながりが、自分を豊かにする。(Yさん・女性)

静岡独特の何か、不思議なものと出会った。これまで石器時代から古墳時代まで、興味があっていろいろ観て来たのだけれど、今まで興味がなかった弥生時代のこの台付き甕、田んぼの土で土器をつくるとか、もっとそとに発信していったらいいと思う。(Sさん・女性)

人間として、たくましくなりたくて、ARTOROに参加。ほんの少し、強くなれたんじゃないか?って嬉しい。台風のあと、隣の田んぼの稲は倒れていたのに、ARTOROの稲は倒れていなかったのを見て、種が持っている遺伝子というか生命力、すごいなと思った。(Yさん・女性)

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何がなくても、やってけるかな?

参加してくださった皆さん、ありがとうございました。登呂会議の田嶋くん、荻原さん、稲森さん、登呂博物館の小林さん、サポートしてくれた学生(築詩ちゃん、長谷川さん、坂田さん)、長坂さんも!!!

『すべてそこにあるもので完結している。』

2014年11月15日

9月21日(日)ARTORO第4回「土を焼く。」無事に終了。
登呂ムラの人々は、はしごに使った木をリサイクルして、田んぼの杭に使っていた。そんな彼らが燃料に木をボンボン使うわけがない、と昨年のARTOROで穂刈りしたあとの藁と籾殻、熱を逃がさぬよう、田んぼの土を土壁のように蓋がわりにして焼いてみた。火は細く長く、5時間あまりで焼成を終えた。次回は薪もナシでやってみよう。

本当のことを言えば、もっとゆっくり温度を下げて、完全に冷えるまで土器を放っておきたかった。弥生の人は、翌日の朝まで放っておいたはず。熱いのにムリに出してひびが入ってしまった最初の甕にゴメンナサイ。それでも、9個の台付き甕ができあがり、11月にこれを使って何を煮炊きしようか、たのしみ。

登呂では、土器を焼いていた窯跡は出ていない。
去年も穂刈り後の、田んぼを見て思った。焼畑を兼ねて、ここで土器の野焼きをしていたのではないか?
私たちよりも、ずっとずっと合理的で無駄のない暮らしをしていただろうな。

ふじのくに子ども芸術大学/土を焼いたら、焼きものになったよ。

2014年08月06日

ふじのくに子ども芸術大学・ARTORO 夏休み連続3回講座「土がぼくらにくれたもの」

8月6日(水)は、第2回「土を焼くと焼き物になる」。
第一回で作った市販のテラコッタ粘土と田んぼの土で作った土器を野焼きした。お決まりかもしれないけれど、まずは火起こし。むーずかしぃ〜。

A班とB班と分かれて、2つの場所で野焼きをしたのだけど。ゆっくり温度を上げたいところ、一気に火が回ってしまったり、ゆっくりあたためてたら、強風で藁が吹っ飛んで焼きかけの土器が露出してしまったり、まぁ、コントロールできるようで、できない。

そうね、こんな風に野焼きをしてたら、急に土砂降りなんてことは、2000年前もあったでしょうし。

子どもたちが帰ったあと、着火から5時間後の午後4時過ぎに、土器を確認。いい感じである!割れたものもいくつかあったけれど、田んぼの土で作ったものは1つも割れていない。おもしろいな、自然。

登呂の出土品の中には、割れた土器を桜の木の皮で継いで直したものもある。弥生人にとっても、カンタンなことじゃなかったろうと想像するよ。

田んぼの土によるふた効果はすばらしく、着火から5時間経っても真っ赤な火を保っている。

これは、4年生の彩香ちゃんのだ。ヨカッタ、無事。

綺麗な色に焼けたね。

割れた土器を土台に、直接土に触れないように設置。おわったら、ジョージルーカス(笑)

ふじのくに子ども芸術大学第1回講座の様子が掲載されました。

2014年08月05日

ふじのくに子ども芸術大学第1回講座『葉っぱロクロで、土器をつくる』の様子が静岡新聞8月1日朝刊に掲載されました。
小学4年生〜中学2年まで20名が参加。
朝9:30〜12:30、3時間、集中力が途切れることなく、すごかった。
第2回は『土を焼くと、やきものになる』。つくった土器を野焼きする。
市販されているテラコッタ土と田んぼの土を丸めたものと、両方使ってつくったのだけど、こどもが「また、おんなじ形をつくるの?」と言ったこと。そう言いながらも土の癖を手で読み取って、田んぼ土の性質にあった形を見つけていく子。
葉っぱロクロ→手ロクロ→蹴ロクロ→機械ロクロ、全部仕組みはおんなじで、2000年前も今も土の性質は同じで、そこからいろんな形が生まれるってことも、次回に、話したいなと思う。

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